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<戦後80年>日野駅 出征兵らの記録

<戦後80年>日野駅 出征兵らの記録

商人館館長が年表作成

 近江日野商人館(日野町大窪)の満田良順館長(78)が近江鉄道日野駅から出征した兵士らの記録を、当時の国民学校の日誌などを基に年表を作成し、戦後80年企画展「日野駅改札口から見る日野町と太平洋戦争」と題して、同館で展示している。満田館長は「実態を示す記録から戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じてほしい」と話している。(中村総一郎)

国民学校日誌基に 「平和の尊さ感じて」

<戦後80年>日野駅 出征兵らの記録
国民学校の日誌から年表を作った満田館長。年表は来館者に配布している(日野町で)

 満田館長は元教員で、町内の学校などに残っていた日野尋常高等小学校、必佐青年学校女子部、北比都佐国民学校の日誌類を約30年前から調べてきた。日誌類は1932年から終戦の年にかけてのもので、当時の教員らが記録したとみられるという。

 年表では、「日野駅で帰還兵の出迎えが行われる」(1932年11月22日)、「日野駅で出征兵の見送りが行われる」(同年12月6日)など、日野駅での出来事を中心に約600項目を日付順に並べた。

 なかには、「戦傷兵の出迎えが行われる」(39年2月2日)「戦死兵の遺骨迎えが行われる(二柱)」(同年2月6日)とする記述もある。戦争が進むにつれ、「学徒出陣の見送りが行われる(五名)」(43年11月19日)、「日野高等女学校生徒が、名古屋の航空機製作工場へ学徒報国隊として動員される」(44年7月末~45年3月)と、若者も戦争に巻き込まれていったこともうかがえる。

 終戦前日の北比都佐国民学校の日誌には、「本日御前会議ニ於イテ、米英蘇支共同宣言受諾ノ聖断ヲ下シ給フト洩レ承ル。恐レ多ク捌所ヲ知ラズ」と書かれていた。満田館長は「無条件降伏決定の情報が、校長に暗に知らされていた」と推測する。

 44年8月から45年4月には大阪の国民学校から学童疎開を受け入れており、終戦後に疎開児童から送られてきた作文も展示。疎開時のお礼とともに、「日に日にだんだん復こうして居ります」「新しい平和が舞もどって来たのだと思ふととてもうれしいです」と気持ちを切り替えようとする心情が読み取れる。

 「日誌は毎日書かれていたはずだが、記録が欠如している部分もある。戦後、焼却などで失われたのかもしれない」と満田館長。「戦争をくぐり抜けた貴重な記録。箇条書きのような一文一文を集めると膨大な年表になり、毎日のように戦争へ行く人、帰ってきた人がいたことが分かる。いかに多くの人が戦争に関わっていたかを知ってほしい」として、来館者に年表を無料配布している。

 15日までの午前9時~午後4時で、8、9日は休館。大人300円、小中学生120円、期間中、町民は無料。問い合わせは同館(0748・52・0007)。

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