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いつまでも いてほしかった

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長嶋さん死去 悲しみ広がる

いつまでも いてほしかった
約40年前に開かれた読売巨人軍OB会の懇親会で長嶋さん(右)と写る西村さん=本人提供

 プロ野球・読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが亡くなったことが伝わった3日、県内のゆかりの人たちからも「ミスタープロ野球」を悼む声が広がった。

野球一直線 生き方に感銘

 県ソフトボール協会会長の西村高司さん(70)は、1973年に県立伊香高からドラフト2位で巨人に入団した。プロ1年目の日本シリーズ前の練習を手伝った際、練習後に長嶋さんと浴室で一緒に湯船に入ったという。「2、3分のことなんですが、緊張ですごく長く感じた」と笑う。

 西村さんは75年限りで引退し、教員免許を取得するために中京大に進んだ。巨人が中日ドラゴンズ戦で名古屋に遠征した際の宿舎に顔を出すと、「お~、ニシ(西村)。どうしたんだ」と気軽に声をかけてくれたという。大学に進んだことを説明すると、「頑張れよ」と励ましてくれたが、1か月後の遠征で再び同じやりとりに。「長嶋さんらしい。こんなエピソードは先輩からよく聞かされた」と懐かしんだ。

 教員となってからは、県立長浜高で野球部監督も務めた。「長嶋さんはスイッチが入ると、とにかくがむしゃらだった。他人と同じ練習量では同じ成長しかしない。部員たちにもそんな話をした」と振り返り、「心に穴が開いた気持ち。いつまでもいてほしかった」と惜しんだ。

 長嶋さんは巨人軍監督だった99年7月、突然、比叡山延暦寺(大津市)に立ち寄り、記念撮影にも気さくに応じてくれたという。長嶋さんの隣で写真に納まった獅子王 圓明えんみょう 執行(59)は「『巨人軍は常に紳士たれ』と言われるように、背筋がピンとされ、現役選手のようだったのを覚えている」と回顧。「ファンを魅了し、野球一直線で生きられ、その生きざまに感銘を受けた。お亡くなりになられたのはショックですが、ご 冥福めいふく をお祈りしたい」と話した。

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[紹介元] YOMIURI ONLINE いつまでも いてほしかった

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