
映画「突入せよ! 『あさま山荘』事件」などの社会派作品で知られ、昨年12月に76歳で亡くなった原田眞人監督は晩年、彦根を繰り返しロケ地に選んだ。自然や風景、彦根城など歴史的な建物をフィルムに残すだけでなく、市民とも触れあい、温かな人物像を関係者の記憶に刻んだ。彦根に息づく監督の足跡をたどる。
「この日を一番待ちわびていたのは原田監督でしょうね」
3月28、29日に彦根市で初めて開かれた「彦根映画祭」の会場。入り口に置かれた原田監督の功績をたたえるパネルの前で、映画プロデューサーの鍋島寿夫さん(72)(東京)は目頭を押さえた。
鍋島さんが監督と出会ったのは1995年頃だった。海外で映画評論家などとして活動していた監督が国内に戻り、メガホンをとった役所広司さん主演の「KAMIKAZE TAXI(カミカゼタクシー)」の撮影前だった。
「いわゆる映画青年。すごい勉強をしていた。現場にいる私たちが全く太刀打ちできないほどの知識と情熱を持っていた」。鍋島さんは、郷ひろみさん主演の「さらば愛しき人よ」(87年公開)をきっかけに、30本を超える原田作品の約3分の1でタッグを組んだ。
監督は「日本のいちばん長い日」(2015年公開)で初めて彦根で撮影した。その後も「関ヶ原」(17年公開)、「燃えよ剣」(21年公開)、遺作となった「BAD LANDS バッド・ランズ」(23年公開)と相次いでロケ地に選んだ。
監督は細部までリアリティーを追求することで有名で、彦根での撮影でも随所にこだわりを見せた。
「日雇い労働者の街」と知られる大阪市西成区のあいりん地区を舞台にした「バッド・ランズ」では、西成の雰囲気を出そうと、同地区の住民をマイクロバスに乗せ、撮影を行う彦根市のアパートまで片道約100キロを送迎したという。
「監督にとって映画は仕事であり趣味。人生の全て。だから現場では厳しかったよ。でも、岡田准一や安藤サクラなど(監督を)慕う出演者も多かった。それだけ情熱を注いできたってことですよ」と鍋島さんは懐かしむ。
「バッド・ランズ」の撮影が終わり、鍋島さんと監督は東京の喫茶店で次作を話し合った。「監督が次も滋賀、彦根でやろうよって、うれしそうに」。彦根城、山や川、ちょっと寂れた商店街――。全てを気に入っていたという。
次作には、司馬遼太郎の長編小説「 梟 の城」を彦根で撮影する構想があった。だが、実現することはなかった。
彦根市のロケーション誘致アンバサダーを務める鍋島さんは今も数か月に1度、彦根を訪れる。「今も監督がどこかで撮影しているんじゃないかって思いながらまちを歩いています」
原田眞人 1949年、静岡県生まれ。79年に「さらば映画の友よ インディアンサマー」で監督デビュー。日航機墜落事故を新聞記者の視点から描いた「クライマーズ・ハイ」(2008年公開)は日本アカデミー賞・監督賞など10部門に輝いた。2025年12月に亡くなった。
出典:読売新聞オンライン