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なぜ読売新聞が一番多く読まれているのか?

読売新聞は1874年(明治7年)11月2日創刊以来、常に読者の満足度を最優先に考え、先駆的・独創的なチャレンジに今もなお挑み続けています。

その信頼されるブランド力(歴史、理念、気風、体制、社会貢献などの総合力)は他の新聞社と比べても群を抜いているからなんでしょうね。

 
読売ブランドを支えてきた歴史や取り組み
1874年
(明治7年)
ルビを振って読者にやさしく
読売新聞創刊。部数は約200部の隔日刊。題号は、「読みながら売る」瓦版に由来。
1988年
(明治21年)
報道写真の元祖「写真画」を掲載
福島県の会津磐梯山の大噴火の写真を銅版画で掲載。報道写真の先駆けとなった。
1914年
(大正3年)
女性のための「婦人欄」を掲載
与謝野晶子らが活躍。日本で初めて女性向けに「よみうり婦人附録」がスタート。流行や投書、身の上相談などが盛り込まれ、今日の「くらし面」の基礎となった。
1917年
(大正6年)
世界初の「駅伝」(箱根駅伝のルーツ)を開催
東海道を41時間で走破。江戸が東京になって50年を祝う「東京奠都五十年奉祝博覧会」にて読売新聞が実施した「東海道駅伝徒歩競争」を実施した。
1920年
(大正9年)
社説で口語体を採用
創刊以来、新聞を庶民に読んでもらうために売り物だったルビを廃止し、読みやすくするため口語体を使用した。新聞の口語化は翌年に東日(毎日)、2年後に朝日が続いた。
1925年
(大正14年)
ラヂオ版発行
ラヂオは新聞の競争相手。新聞はラヂオにつぶされるという懸念から、ラヂオ版を設ける新聞社はなかった。しかし、読売新聞は読者に喜ばれると判断し、東京紙初のラヂオ版を設けた。新規購読者は月数千単位で増え、朝日、東日(毎日)は5年半後にラヂオ版を発行した。
1929年
(昭和4年)
日本名宝展を開催
今でこそ新聞社が美術展を開催することは珍しくないが、読売新聞が開いた「日本名宝博覧会」は連日超満員で読売の声価が一気に高まった。
1934年
(昭和9年)
米大リーグ招待。プロ野球創設へ
読売新聞は1931年と1934年にアメリカの大リーグの選抜チームを招き、「日米野球」を開催。34年はベーブルースも来日。その年、読売新聞は日米野球で活躍した沢村栄治らを集めた日本初プロチーム「大日本東京野球倶楽部」を創設した。翌年、米遠征の際に大リーグの人気チーム名から「ジャイアンツ」と命名され「巨人軍」が生まれた。
1936年
(昭和11年)
オリンピックを「五輪」と表記
宮本武蔵の「五輪の書」から運動部記者が考案し、日本中に定着した。
1937年
(昭和12年)
他紙に先駆け1面にニュース掲載
当時の新聞の1面はすべて全面広告だったところを、新聞の公共性を優先し、1面は政治と重大ニュースを掲載。広告は減収となったが部数が増えた。東日(毎日)は翌年、朝日は翌々年から1面にニュースを掲載した。
1937年
(昭和12年)
都内で夕刊2回発行で速報強化
激しくなった戦況を速報。世界初の試みとされる一日3回の配達。100万部を突破した。しかし、新聞用紙が減産、2年後に1回に戻し、1944年には各社一斉に夕刊を中止した。
1947年
(昭和22年)
読者投票で選ぶ「日本十大ニュース」の募集を開始
10大ニュースを読者投票で決定させた。海外版は1989年からスタートした。
1952年
(昭和27年)
大阪読売新聞が発刊
1953年
(昭和28年)
第1回菊池寛賞を受賞
1951年から行っていた無法地帯と化していた新宿暗黒街の浄化キャンペーンを評価された。
1953年
(昭和28年)
民放初の日本テレビを開局
予備免許はNHKより早かったが、半年遅れで放送がスタートした。
1962年
(昭和37年)
世界に誇るオーケストラ読売日本交響楽団設立
音楽文化の振興と普及を目指し誕生。オーケストラを持つ新聞社は世界でも読売だけ。
1964年
(昭和39年)
新聞初!生ニュースの写真をカラーで掲載
東京オリンピックで連日写真のカラー紙面を掲載した。
1964年
(昭和39年)
育英奨学会を設立
大学生などに学費を保証する新聞奨学生制度を日本で初めて導入した。
1966年
(昭和41年)
ビートルズ来日公演を主催
読売は当時世界で最も人気があった「ザ・ビートルズ」の3回公演を日本武道館で主催し、若者音楽の流れを変えた。
1977年
(昭和51年)
部数日本一を達成
日本ABC協会の公査部数で、読売720万部、朝日715万部。オイルショックの狂乱物価の時代に購読料据え置きを宣言した。
1985年
(昭和60年)
戦艦大和を40年ぶりに特写
東シナ海海底に沈没していた戦艦大和の所在を確認できたスクープ写真。
1994年
(平成6年)
1000万部達成 ギネスブック掲載へ
部数1000万部を突破。日本ABC協会の公査部数で1001万9985部。
1995年
(平成7年)
阪神大震災発生
読売新聞社の救援募金に1年間で全国から5万件、計39億円の義援金が集まった。
1995年
(平成7年)
ネットで初のニュース配信
読売新聞社ホームページを開設し、社説や英字記事などを掲載。日本語では新聞社初の生ニュースで全日空機のハイジャックの記事を送り込んだ。1996年に名称を「ヨミウリ・オンライン」に変更した。
1999年
(平成11年)
読売ロマンの旅が始まる
旅行を通じた地域貢献のため、読売新聞社とYC(読売新聞販売店)と読売旅行が毎年展開され、2012年で14年目を迎えのべ300万人のお客様にご参加いただいている。
2002年
(平成14年)
JOC(オリンピック委員会)オフィシャルパートナーに
報道機関として初めて日本オリンピック委員会(JOC)とオフィシャルパートナーシップを結んだ。
2006年
(平成18年)
会員制サービス「yorimo」スタート
読売本紙読者らを対象にした無料のオンライン会員制サービス。会員だけがアクセスできる記事や情報が多く、優待チケットやプレゼント企画もある。
2007年
(平成19年)
日経、朝日と提携「あらたにす」
インターネットの共同サイト運営や新聞販売事業における業務提携などに合意した。
2008年
(平成20年)
文字を23%拡大したメガ文字導入
紙面が今までの14段組だと1行の文字数が減り、改行が多くなって読みにくいということで12段組に移行させた。
2008年
(平成20年)
全国に読売防犯協力会
2005年から始まったYC(読売新聞販売店)と警察との防犯覚書の締結が全国で結ばれ、地域防犯活動の全国ネットワークが完成した。