天台宗総本山・比叡山延暦寺の門前町として栄えてきた大津市の坂本地区。市歴史博物館によると、鎌倉時代から日本有数の港町で、豊臣秀吉の書状に「坂本を持つことは、京都を支配するのと同じ」という趣旨の記述があるほど、重要な場所とされてきた。


織田信長の命で明智光秀が坂本城を築くと、城下町として繁栄。1571年の延暦寺焼き打ち後、延暦寺の監視を主目的に築かれた城で、琵琶湖に張り出した天守を、二の丸、三の丸が囲む構造だとされており、2025年には城跡が国史跡に指定された。実際に城があったとされる場所の南側が坂本
坂本城は1586年頃に廃城となり、石垣などは大津城の築城に用いられたと言われている。これに伴い、近江支配の拠点は大津に移っていったものの、徳川家は坂本を重んじ、家光の代には寺社の復興が進められた。日吉大社には、日光東照宮(栃木県)のモデルになったと伝わる日吉東照宮もあり、徳川家との縁の深さをうかがわせる。
京阪坂本比叡山口駅の近くには、延暦寺を開いた最澄の生誕地とされる生源寺があり、南に行くと、風情のある建物が並ぶ道に入る。「焼き打ちの後につくり直したとも言われ、『作り道』と呼ばれている」とボランティアガイドの山口弘さん(77)。さらに進むと、左右に石垣が現れた。「
穴太衆と呼ばれる職人集団が選び抜いた自然石を大小組み合わせて積み上げた石垣で、揺れに強く水はけもいい。穴太衆は、大津城を舞台にした今村翔吾さんの戦国小説「
石垣と並んで坂本を象徴するものに、
旧竹林院から北に約1キロほど足を延ばせば、光秀の
本堂のそばには、明智一族の墓がたたずんでいる。5月10日までの期間限定で客殿(重要文化財)の内部を初めて一般公開しており、現存唯一とされる光秀肖像画(大阪府岸和田市の本徳寺蔵)も見ることができる。
戦国のロマンあふれる坂本。この季節は、こけむした石垣に新緑の青葉も相まり、まち歩きにはもってこいだと感じた。(香山優真)
参詣客もてなし300年 鶴喜そば
「作り道」沿いにある「鶴喜そば」(大津市坂本)は、延暦寺の参詣客へのもてなしとして始まったそば店で、300年以上の歴史がある。精進料理として延暦寺の僧侶たちに愛されてきたそばは、明治、大正、昭和天皇も召し上がったという。

「手打」と書かれたのれんをくぐると、レトロな電話機が目に入ってきた。横には「電話
営業時間は午前11時~午後4時。問い合わせは同店(077・578・0002)で、定休日はホームページ(https://www.tsurukisoba.com/)を参照。